言の葉

コト-モノ 語り

コトとモノの、その間

歴史観 - 鎖国・歴史学の視点とグローバル化の視点

歴史を語るとき、『どのような視点で語るのか』というところを注意する必要があるように思う。

 

(もっとも、それは、他の議論においても往々にして言えるのではあるが。)

 

例えば、

ナポレオンや織田信長などの英雄列伝を語るのであれば、かっこよさや歴史小説などの涙なしでは語れない物語のようなものとしてよいのだろう。

第二次大戦時に日本が戦争をしたのはなぜだったのかを語るのであれば、それは戦争それ自体とはなにかというところや、その当時の日本を含めた世界の状況や情勢がどうだったのかを一種検討しながら語る必要があるように思う。

 

ここで、「歴史を語る」という点において、

日本の江戸時代前後で行われていた、いわゆる鎖国制度(現代では否定されている)について、大きく二つの視点から考える。

 

まず、"歴史学の視点"においては、「仕方のなかったこと」のように思う。

当時の状況としては、三点。一つは、西洋がどんどん力をつけ、いわゆる欧米列強がどんどんと世界に進出し、貨幣制度と資本主義を一種押し付けることで自国の利益を高めようとしていたこと。一つは、白人至上主義であり、黒人や黄色人種は軽んじられていたこと。一つは、プロテスタントカトリック、スペインやポルトガルなどの西洋側の闘争があったこと。

実際、清やインドなどの各国とともに、日本を実質的に植民地支配しようとしていたことを伺わせる文献が残されている。また、事実として、日本人(和人?)を人身売買していたことが記録されている。

織田信長は、武力や経済力と好奇心によって西洋(南蛮)の文化を多く取り入れ、そのために(基本的には)キリスト教の布教を許した。

それが豊臣秀吉の時代になると、西洋人による日本人の人身売買がどんどんと露骨になり、キリスト教の布教の禁止と各国の取り締まりの強化をせざるを得なかった。徳川の江戸時代も同じ。

歴史学の視点においては、植民地支配から逃れるためにも、西洋の出入りを制限し、いわゆる鎖国をする必要があったのではないかと考える。

 

次に、"現代の視点(グローバル化)"において意見するとすれば、それは「微妙」というところのように感じる。

もともと日本は、平安時代前後の頃はかなりグローバルであったそうだが、その後の動乱によりいわゆる"外国人"が少なくなってしまい、ほとんど単一民族が支配する国家となった。それが良かったのか悪かったのかは、言語学なり民俗学社会学などでいろんな視点があるのだろう。ただ、今回は現代からの視点、特にグローバル化の視点において。

結果論として、宗教や科学の力を使って世界を支配?しようとした西洋側の欧米列強の論理に巻き込まれている昨今、グローバル化の流れは逃れられない。インターネットにより世界で情報交換が容易になされ、日本の少子高齢化、AI問題、世界所得の変化など、さまざまな状況がこれに拍車をかけている。

このような視点においては、もともと世界に目を向けていて、言語の通じない相手との交渉をやりまくっていた西洋側が強いのかなと思ってしまう。もともとイギリスという国はさまざまな民族による闘争があり、ヴァイキングによる外国との交易や略奪の歴史もまた経ている。であるからこそ、英語は、ラテン語、フランス語、イタリア語などなどが混ざり、異なる文化圏を持つ人間同士と話すために、文法を(比較的)明瞭化して「誰が」といった"主語"が重視される言語として形成された。

これに対すれば、日本は鎌倉期以降 、ほとんど単一民族であり、外国からの侵略も防いでしまっている(そこがある意味不思議というか奇跡というか、すごいと思う。)。結果論として、交易や外交、文化以外の、日常的な面において、外国と接する機会がほとんどなく、独自の生活様式や文化が発展した。言語の点においても、「誰が」ではなく「事物」がどうするかの"主体"が重視される言語が形成されている。

であるからこそ、西洋諸国に比較すれば、"人と人とがコミュニケーションをとるという点"で、日本は『不利』であると思う。

しかし、"独自の文化を発展させたという点"で、日本は「特異性」を持っている。この「特異性」がプラスかマイナスかという点であるが、私は『プラス』と考える。この独自の文化は、近代において西洋側に対しジャポニズムなどの影響を及ぼし、現代でも日本のアニメやオタク文化は世界の経済市場の中でもそれなりの影響を及ぼしている。"サムライ"、"ニンジャ"などなどは既に西洋やアジアなどの文化圏にも浸透している。

このように、日本がいわゆる鎖国であったからこそ築くことができた"独自の文化"は現代のグローバル化の世界の中で、『不利』な部分と『プラス』の部分があると感じる。

 

今回は、大きく二つの視点から「日本の鎖国の是非」について考えてみた。

 

上を踏まえ、今後、世界がどうなるのか。

世界と交流を制限していたからこそ花開いた日本の独自の文化や国民性は、世界とやり合って行く中で、武器になると自分は思う。

現に、科学の世界において、湯川秀樹西田幾多郎など、戦前の頃から世界に認められた日本人もたくさんいる。今で言えば、落合陽一か。スポーツの世界においても、たとえ体格では負けても、メンタルを含めたトレーニング方法や戦術・戦略を駆使して、世界のトップに君臨している日本人も少なくない。

世界から学ぶことを学び、それを日本の観点で応用し、対処することで、このグローバル化の流れを超えられるのではないか。

 

希望をもって。